
はじめに
このブログ記事は、10年前にうつ病を患い、そこから10年間、自分なりにもがきながら過ごしてきた記録です。
なぜ今この話を書こうと思ったのかというと、「ようやく話せるようになった」から。
そしてもし、今うつ病で苦しんでいる人がこれを読んで、ほんの少しでも気が楽になったり、未来に希望が持てたりしたら――そんな思いで綴ります。
正直、長いです。暗い話も多いです。
でも、これは全部、自分の人生で実際に起きたことです。
第1話:初めての就職、そして心が壊れた日
専門学校卒業、初めての社会人
専門学校卒業して就職したのは某カー用品店チェーン。
もちろん整備士としてね。
しかもいきなり配属になったのは、県外。
一人暮らしも、就職も初めての経験。
幸いにも先輩方は優しく丁寧に仕事を教えてくれました。
「これならやっていけそうだ!頑張ろう!」
そう思って、毎日メモ帳片手に仕事を覚えていった。
そして世間はゴールデンウィークへ
世間は連休モード。
もちろん私は仕事でした。
ひっきりなしに入庫してくる車。
一日中動きっぱなし、昼飯を食べる余裕すらない。
ヘロヘロになりながらも、なんとかGWを終えた。
段々と狂い始めた歯車
そんなある日の朝。
会社に行こうと支度を始めたのに、体が動かない。
気持ちが沈み、涙が出てきた。
「疲れてるだけかな」と思い、涙を拭いて無理やり体を動かして出勤。
でも、翌日も、またその翌日も、毎朝のように涙が出てくる。
「さすがに何かおかしい」
そう思いながらも、この日を頑張れば明日は休みだと自分に言い聞かせて出勤した。
その夜は実家に帰ることにした。
そして、アパートに戻ろうとしたとき――
なぜか、突然大泣きしてしまった。
自分でもびっくりした。
今思えば、もう心が崩壊寸前だったのかもしれない。
このとき、何かを察した母が一緒にアパートまで来てくれた。
(成人してるのに…情けないとは思ったけど、それ以上にありがたかったな)
そしてうつ病へ
こんな私を心配した母は、なんと半月近くも一緒にいてくれた。
(うつ病を経験していない人から見ると、ネガティブに思われるかもしれないけど)
母なりに色々調べてくれて、私の休みに合わせて近所の心療内科の予約を取ってくれた。
そして、当日。
心療内科を受診すると、先生は私の顔を見てこう言った。
「今まで、辛かったでしょう。よく頑張りましたね。」
この一言で、泣きそうになった。
そして先生は続けて言った。
「あなたは、かなり重いうつ病のようです。
お仕事は、しばらく休んだほうがいいでしょう。」
正直、自分でもなんとなくそんな気はしていた。
でも、入社してまだ2ヶ月。
そんな状態で「休ませてくれる会社」なんて、あるわけがない――そう思っていた。
店長に相談、そして絶望
翌日、出勤して朝一で店長に「うつ病と診断を受けてしまいました」と伝えました
で、返ってきた言葉は「だから??」の一言。
……は?と思った。
いや、いやいやいや、何かひとことあるだろ?って思った。
でも、返ってきたのはその一言だけ。
場所を変えて店長と話をしたときに、「続けるか辞めるか明日までに決めてこい」と言われたのです。
あんなに優しいと思っていた店長だったのに、その言葉は本当にショックだった。
もうボロボロ状態だった私にとっては「辞める」以外の選択肢なんてありませんでした。
その日はもちろん落ち込みつつなんとか仕事を終えました。
実は“選択肢”はあったらしい
その翌日、辞めることを店長に伝えにいきました。
その日の夜には「退職届」を書き終え、翌日提出。
いつだったか記憶が曖昧なのですが、突然店長から「実家近くの店舗に移動することもできるけど」みたいなことを言われたのです。
でも、もう遅かったんです。
限界は、とうに超えていました。
あのとき、もしも「続ける」という選択肢を選んでいたら――
きっと私は今ここにいなかったかもしれない。
そう思います。
退職までの地獄の時間
辞めるまでの数日は、まさに“無の境地”。
もう感情もなにも無かった。
職場の人と話すのもつらくて、ただただ耐える毎日だった。
一瞬の晴れ間
なんとか耐えて、退職の日。
(一瞬だけど)今までのが嘘のように晴れたような気分になりました。
実家に帰ったあとは、家族が気晴らしにと、唐戸市場に連れて行ってくれたりして気分転換ができていた・・・はずだった。
先生からの呼び出し
唐戸市場から帰ろうと車に乗ったとき、スマホが鳴りました。
電話に出ると、専門学校のときの先生でした。
「もう辞めたのか!?さっき担当者から連絡が来て知った」
「話があるので◯月×日に学校に来なさい」と言われて、テンションだだ下がり。
知ってはいたが、行ってみると説教タイムでした。
「たった2ヶ月で辞めるなんて何を考えてるんだ!俺のつてで行ったのに、恩を仇で返すのか!」って。
わかってますよ。私だって後悔してるんですから。と言い返したくなりましたが、
早く帰りたかったので平謝りしました。
だけどついつい悔しい思いと怒りに任せて、校舎から出るときに愛車でクラッチミート。
「キュルキュルキュル!!!!!」という音を響かせて出ていきました。
本格的に、うつ病が始まる
それからしばらく、部屋の中で天井を見続けるだけの毎日が始まった。
外にも出られず、誰とも話さず、ただただ無気力な時間を過ごした。
でも、少しでも気分が良い日は、次の日のことなんて考えずに車で走り続けた。
そのせいで愛車は、たった4年で12万キロも走った。
旧友と再会も絶交することに
地元に戻ってきてから、専門学校時代の友人と再会して遊んだ。
もう1人は幼稚園時代からの長い付き合いの友人だった。
でもそのとき、専門学校時代の友人がとんでもないことを言った。
「うつ病なんて甘えてんじゃねぇよ」
さすがに頭にきて、
「こっちの事情も知らんで適当なこと言うんじゃねぇよ!もう絶交だな、ここで降りろ!」
って言って、その場で車から降ろした。
幼稚園時代の友人もさすがに怒ってたよ(ほぼ初対面だったのに)
地元の心療内科に変更
最初に受けたのは県外の心療内科。
さすがに再診のたびにそんな遠くまで行けないということで、
病院を変更した。
そこで出された薬を飲みながら、療養を続けた。
就労支援A型事業所での再スタート
仕事を辞めて約1年。
良いときはドライブ。悪い時は天井を見つめる。そんな生活をしていた私に
母がとあるチラシを持ってきた。
「ここ、行ってみたら?」と差し出されたのは、就労支援A型事業所のチラシだった。
正直、またあんな風に潰れてしまったらどうしよう、って不安の方が大きかった。
でも母は、自分の不安をよそに、半ば強引にハローワークへ連れて行った。
そして、見学へ行くことに。
ドキドキしながら事業所を訪ねたんだけど、雰囲気がすごく優しくて、ここならやっていけるかもしれない、と思えた。
その後、面談を経て、そこで働くことが決まった。
働けた日、少しだけ自信が戻った日
最初は週に数日、体調のいい日だけの勤務だったけど、だんだん慣れていって、少しずつ働ける日も増えていった。
自分が入ってからというもの、事業所の仕事量も増えてきて、ある日スタッフからこっそりこう言われた。
「あなたが来てから、事業所の収入、すごく増えたんですよ」
嬉しかった。
本当に、泣きそうなくらい嬉しかった。
必要とされるって、こういうことかって思った。
気づけばその場所で、2年間も働いていた。
新しい挑戦、そしてコロナ禍
もっと何かできるかもしれない、って気持ちが芽生えてきて、次のステップとして「障がい者能力開発校」に通うことを決意した。
プログラミングを学べるというのと、勉強しながら給料ももらえるということで、「これしかない!」って思ってた。
でも、そこで予想外の出来事が起こる。
そう、コロナ禍の始まりだった。
自習地獄、冷めてしまった情熱
入学式も中止、授業も始まらず、突然「これがテキストです。家でやってください」と言われる始末。
外出も自粛ムードの中、勉強は進まず、ストレスだけがたまっていく日々。
やっと授業が始まる頃には、もう心がついていかなかった。
そして、自分には合わなかったと感じて、静かにそこを辞めた。
二度目の無職、二度目のA型事業所
そのあと、また1年ほど無職で過ごしていた。
でも今は、別のA型事業所で在宅勤務という形で働いている。
月に一度だけの通勤で、それ以外は自宅で作業ができる。
このスタイルが、自分にはすごく合っていた。
ようやく、穏やかに働ける場所を見つけたんだと思う。
バイクとの出会い
約10年間、うつ病に振り回されてきた。
もちろん今でも落ち込むことはあるけれど、最近は少しずつ復活が早くなってきている。
ようやく「自分はもう大丈夫かもしれない」と思える瞬間が増えてきた。
そんなとき、また何かに挑戦したくなった。
それが――バイクだった。
車への熱が冷めた自分に残ったもの
もともと車好きで、車をいじったり運転したりするのが楽しかった。
でも、オートマ車に乗り換えてからは運転の楽しさが減ってしまって、だんだん車そのものに興味を持てなくなっていた。
せっかくいじった車もノーマルに戻したし
お金もかかるし、心がワクワクすることも少ない。
「何か他に楽しいことないかな」って、YouTubeを漁っていた時だった。
「マニュアルバイクはうつ病に効く」
ある日、おすすめに出てきた一本のバイク動画。
その中で「マニュアルバイクはうつ病に効く」と言っていた。
最初は「そんなバカな」と思ったけど、なぜか気になって、そこからどんどんバイク動画にのめり込んでいった。(実際にそういう研究結果もあるとかないとか)
POV視点のツーリング動画、バイクの選び方、整備方法、事故の回避方法、免許の取り方――まるで教科書のように全部見た。
バイクって、ただの危ない乗り物だと思ってた。
生身でエンジンにまたがって走るんだから、事故したらただじゃ済まない。
そう思ってたけど、動画を見ているうちに、どんどん惹かれていった。
免許を取るまでの日々
気がついたら、節約して免許代を貯めていた。
フルフェイスヘルメット、グローブ、シューズも揃えて、教習所へ申し込み。
初めて跨がったCB400SFは重くて、デカくて、怖かった。
でも、それ以上に楽しかった。
教えてくれた教官は、なんと全国2位の実力者。
当然、教え方もうまかったけど、こちらは原付すら乗ったことのないド素人。
何度も転んで、何度も怒られて、悔しい思いもたくさんした。
でも、バイクに乗りたい。その一心で、諦めなかった。
初めての愛車と検定の雨
第2段階に入ると同時に、自分の愛車「カワサキ・ニンジャ250」を購入。
そして迎えた卒業検定の日――まさかの大雨。
横の川は今にも溢れそうだった。
緊張しながらコースを走り、ギリギリ75点で合格。
あの瞬間、「本当に諦めなくてよかった」って心から思った。
教習所に通い始めて、わずか1ヶ月で卒業。
(これができたのも、A型事業所での4時間勤務のおかげ)
2週間後、念願の愛車が納車された。
初めての公道と、新しい自分
初めての公道は、正直怖かった。
でも、無事に帰ってこれた。
それからは、できるだけ毎日乗るようにした。
徐々に操作にも慣れてきて、今では「バイクって本当に楽しい乗り物なんだな」って思えるようになった。
これからも、いろんな場所に行きたい。
もちろん、無事故無違反で!
うつ病になる前に戻りたくて
うつ病になったことのある人なら、多少は経験しているとは思うが、
病院から処方された薬には副作用があるものが多い。
私はその薬の副作用によって20キロ近く太ってしまった。
元々痩せていたわけではないが、今では90キロ台だ。
うつ病のせいとはいえ、このままでは健康に害する可能性もあるため
回復期に入ったいま、少しずつ生活の中に運動を取り入れてダイエットすることにした。
それも無理はしない。続けることのできるものを。
標準体重?そんなのはどうでもいい、とりあえずうつ病になる前70キロくらいまで減らしたいと思います。
最後に
ここまで読んでくれてありがとう。
これは、うつ病に苦しみながらも、自分なりに前に進んできた約10年の記録です。
もし今、うつ病で悩んでいる人がいたら――少しでも、心が軽くなるように。
「こんなやつでも、なんとかやれてるんだ」って、思ってもらえたら嬉しい。
そして、いつかまた新しい一歩を踏み出せる日が来るように、心から願っています。